光速度不変の原理の根拠
-光の速度が一定となるメカニズムの存在-

「光源と、この光源から来る光を観測する観測者との相対速度に関わらず、観測される光の速度は常に等しい」 - この観測事実は、人類が直面した最大の謎であった。特殊相対性理論は時間と空間の概念を塗り替えることでこの困難を克服した。いや、克服したかのように思われた。
しかし、それは克服ではなく回避でしかなかったという事実を、アインシュタイン自身は気付き、光速度不変の理由を生涯を通して悩んでいたという。それは一般相対性理論という孤高の嶺に到達しながらも、出発点に置いてきてしまった闇のような不安であったのだろう、



特殊相対性理論の誕生

アルベルト・アインシュタイン(1879-1955)が1905年に発表した論文「運動物体の電気力学」は、特殊相対性理論と呼ばれ、現在でも数多くの解説書が出版されるなど、最も有名な理論の一つとして知られている。物理学に興味の無かった人々までを魅了した理由は明らかで、時間および空間の概念に革命をもたらしたからである。無論、彼が直接言及した訳ではないが、以降、タイムマシーン、空間ワープ等、それまで人類が夢にも考えなかった世界に思いが広がっていった源泉は、やはりアインシュタインの特殊相対性理論に帰することだけは確かである。


相対性原理と光速度不変の原理

特殊相対性理論は、二つの基本的原理の上に構築されている。

【第1の原理は相対性原理】
慣性系の物理現象は、異なる速度においても、同じ力学法則で記述される。絶対基準となる速度は存在せず、相対的な速度によってのみ物理法則が記述できるという原理

【第2の原理は光速度不変の原理】
慣性系における光の速度は観測者と光源の速度に関係なく一定である。

以上二つの原理に基づき、理論を展開すると
【慣性系において、観測者に対して、運動する物体の時間の進行は遅れ、物体の長さは運動方向に縮小する。】

これが、特殊相対性理論の出した結論であった。


第一の原理、相対性原理とは、絶対速度は存在せず、物理の法則は相対的な速度によってのみ記述できるという原理。
相対論を完成したニュートンは回転するバケツの中の水に絶対空間を感じない訳にはいられなかったが、エルンスト・マッハ(1838-1916)はバケツの外側の全宇宙を逆回転させればバケツの水は縁に寄ると断じた。アインシュタインはこのマッハの影響を強く受けたと述べている。

第二の原理、光速度不変の原理は、観測者が光を追いかける速度を次第に増すと、やがて光は停止するだろうか(否あり得ない筈だ)、というアインシュタインの長年の思考実験の結論と、マクスウェルの方程式から、光の速度は導けても、絶対速度は導けないことを通して確信されたものであったのだろう。なお、論文はマイケルソンとモーリーの実験より後に書かれたものであるが、アィンシュタインは彼等の実験の結果は知らなかったと述べている。

一方、アルバート・マイケルソン(1852-1931)とエドワード・モーリー(1838-1923)は光の干渉作用を利用して、1881年以降、改良を重ねながら、極めて精密に光の速度変化を測定していた。彼等の目的は、光の波動を伝播する媒体(エーテル)の動きを探るためであった。電磁波を理論的に予言していたジェームズ・クラーク・マクスウェル(1831-1879)も電磁波の横波を伝播する媒体の存在の必然性を考えていたという。


だが、マイケルソンとモーリーの測定結果は実に意外なものであった。地球の運動により引き起こされるはずの光の速度変化を検出することができなかったのである。光の媒体(エーテル)の中を地球が動く以上、エーテルの風下へ伝わる光の速度と、風上に伝わる光の速度には差が生じるはずである。しかしながら、地上光源からの光だけでなく、恒星からとどく光の速度変化も検出できなかったのである。

この観測は、近年に至るまで精密さを増して行われているが、やはり同じ結果が得られている。特に高速回転するパルサー連星からの光の場合、地球に近づく時と退く時の光の速度に僅かでも差が生じれば、光が遠く地球に到達するまでには、光の到達時間に大きな差を生じるはずであるが、実際はドップラー効果による光の波長は変化するが、光の速度自体の変化は観測されていない。

明らかに地球に対して運動している恒星から来る光の速度が、地上の光源の光と同じ速度になってしまう原因としては、地球が影響しているのではないかと疑われた。つまり、地球による光の引きずり効果である。光が地球に接近するにつれ、恒星から来る光は、地球に引きずられて地上の光源の光と同じ速度になってしまうのではないかという疑いである。

これを検証するために光行差の観測が実施された。光行差とは、地球の公転運動する方向によって、恒星の見える方向が変化する現象である。例えば真上から落ちてくる雨粒も、バイクで走ると、真上からではなく正面側から雨粒が当たるようになる。しかし、バイクの前側に大きな風防を装着すると、風防が空気を引きずるため、雨粒は再び頭上を濡らすようになる。同様の効果により、もし地球が光を引きずるならば、地球の公転軸方向に見える恒星は、年間を通して同じ方向に見えるはずである。

だが実際に観測された星座の位置は、地球公転の進行方向に偏っていたのである。つまり、光を引きずる風防は無かったということになる。

恒星からの光の速度が変化しないという観測結果と、地球の公転運動による光行差が観測されるという、この二つの事実は考えれば考える程不条理である。

例えれば、トラックに荷台に乗った投手の投げる球速が時速100kmで、トラックが時速90kmで去っていく時も、逆に時速90kmで近づいてくる時も、キャッチャーのミットに収まる球速は常に時速100kmという現象が実際に起こっていることになる。この現象はいったいどのように説明できるのだろう?


この困難を劇的に解決のが特殊相対性理論であった。いや、正確に言えば解決したのではなく、それは【原理】であるとしたのである。論理的には説明できない、言わば神の定めであり、人はこれを受け入れるしかないと宣言したに等しい理論であった。アインシュタインは、大きな不条理を残したまま特殊相対性理論を打ち立てたのである。

こうして、特殊相対性理論の確立によりエーテルの存在は否定された、否、正確に言えば、無視されたのであるが、それは、光を伝達する媒質は何ら存在しなくとも、光は伝わってくるというオカルト現象に満足しなければならないという宣告であった。もし、その現象に満足できないとしたら、我々は特殊相対性理論が置き去りにした問題に立ち返って考え直さなければならない。何故、光の速度は光源の速度に影響されないのか? 光速度が観測者に対して常に同じ速度になってしまうメカニズムがそこには必ず存在するはずである。その解明が伴わない限り、特殊相対性理論には完全さが欠けているとされても仕方がない。


特殊相対性効果

特殊相対性理論に描写されている作用と効果をもう一度見てみよう。


【図1】


図1のように、ロケット底部の光源から発射された光のパルスは天井の鏡で反射し、床のセンサーに検出されたら再び光のパルスが発射される。その度にロケット外壁のフラッシュが点滅する。

これをロケット搭乗者から見れば、その光は青の破線で示される光路をたどる。一方、ロケットの外部の観測者が見た光路はロケットが移動するため、赤の破線の光路長となる。しかも光速度不変の原理によれば赤の破線の光も、青い破線の光も同じ速度である。

外部の観測者から見ていると、ロケットの速度が上がれば上がる程、赤い破線の光路長が延びるため、フラッシュの点滅間隔は延びることになる。つまりロケット内部の時間は進まなくなる。
これが特殊相対性理論の効果である。

地上から観測できるロケット内の時間の長さ t は、地上の観測者の時計の時間長 t'と比べると、ピタゴラスの定理を利用して簡単な関係式であらわされることになる


(式1)

例えば、Vが光速の0.99倍なら、地上の1秒はロケット内の7.09秒に匹敵することになる。

ところで、

 距離=速度×時間

の関係にあるため、速度の値 c が同じであって、経過する時間が上式の割合で小さくなる(遅くなる)ということは、その運動距離は小さくなることを意味している。アインシュタインはこれを観測者のものさしより運動しているロケット内のものさしが短くなると断じた。

速度と時間の関係式は一見何気なく特殊相対性理論に添えられているが、この関係式が欠けると物理現象の因果関係が破綻してしまう。

アインシュタインは更に、運動体の長さが短縮するということはその割合で質量が増加することであるとしている。進行方向への質量は増加するのだが、垂直方向への質量は増加しないことが何を意味するかは触れられていない。また、質量が増加することによる効果、例えば万有引力の増加に関しても触れられていない。


この、速度によって時間と空間が伸縮するという理論は世界中に大きな衝撃をもたらしたが、多くの物理学者は容易にこれを受け入れた。得られていた光および電磁波の観測結果および理論(マクスウェルの方程式)と、特殊相対性理論の間に矛盾が見出せなかったからである。それから110年以上を経た現在もその評価は変わっていない。


特殊相対性理論は間違ってる論

しかしながら、アインシュタインが構築した特殊相対性理論を否定する説は後を絶たない。考えようによっては、特殊相対性理論より遥かに突っ込み処満載とも言える量子力学を批判する声がほぼ皆無なのに比して、こちらは批判が尽きない。

運動によって物体の長さが縮小するという理論の基本を無視することで発生するパラドックスをもって特殊相対性理論の過ちを証明したり、あるいは、慣性系という条件を無視することから起こるパラドックスが取り上げられることも多いようである。同時性についての曲解も多い。

また、垂直方向に照準を向けた状態で水平方向に運動するレーザー銃から光の銃弾が発射された時、光の銃弾は垂直方向に向かうか、あるいは斜め方向に向かうか、というような議論も尽きない。そこには依然エーテルが顔を出して議論に水を掛けている、

あるいは、運動に伴い発生する「光が観測者まで到達する時間の変化」つまり時差の変化を、時間の伸縮と取り違えてしまっている勘違いも多い。

光源から観測者までの距離が変化すれば、双方間の時差が変化するのは当然であり、単純な距離の変動による見かけ上の時間の遅れなのであって、特殊相対性理論による時間の効果とはまったく別物である。この時差の問題は、アインシュタインの著作には間接的に書かれてはいるが、主たる論文には省かれてしまっており、まして以降の普通の啓蒙書だけでなく物理学の教科書でも省かれてしまっているため広く誤解を招いてしまっている。

また、一般相対性理論による時間の遅れと特殊相対性理論の効果が混同されることになる。双子のパラドクス論では、累積する距離による見かけの時間のずれが、Uターンの減速と加速による一般相対性効果で一瞬にして実時間のずれで説明されたりする。ただ、一般相対性理論による時間のずれ計算は困難のためか、なぜか特殊相対性理論の計算式が使われたりする。

何れにしても、数学上から見れば、特殊相対性理論のローレンツ変換は、時間と空間の一次変換。この世界で起きている事象の時空位置を一次変換したところで比例した時空位置にシフトするだけなので、新たな事象を作り出すことも消すことも、順番を替えてパラドックスを生むこともできない。


思考実験の問題

だが、実はアインシュタインの思考実験における厄介な問題は、数学上の問題などではなく、図1に描かれている赤い破線に示される光、つまりロケットの床から発せられて、ロケットの天井部で反射し、再びロケットの床付近のセンサーに達する光はロケット外から、この運動も存在も検出するこはできない点にある。
アインシュタインが想像したロケット内の光子は、残念ながら想像上の物理現象であって、ロケットの外の如何なる観測者も、これを観測することは不可能なのである。当然、その観測できない光の速度がcであるとする根拠も存在しない。
アインシュタインが、図1の赤い破線の光の速度がcであると断じた決定的な理由は、彼の著作物にも書いてあるように、彼の頭の中で繰り返し行われた思考実験の結果であったという。彼は、「光を追いかけて見た」と言っている。次第に速度を増しながら、やがて光の速度に匹敵する速度で追いかけながら光を見てみた、と言っている。しかし、光に追いつくことはどうしてもできなかった。そればかりか、光の速度が遅く見えることさえ無かった。
故に、「光は停止できない。観測者の速度が如何なる速度であろうと光は常に同じ速度である」という思考観測結果を出したのである。

しかし、かつて計測された光の速度は、どれも観測者の位置まで到達した光の速度を測定した結果の値であった。それは、図1の破線の光のように、観測者に届かない光の速度などでは断じてない。

飛翔する弾丸の速度なら、その弾丸が観測者に命中せずとも、弾丸が散乱する光を利用して、飛翔中の弾丸の位置と速度を計測することはできるが、光子に限っては、その光子が散乱する光子(???)、、という訳にはいかない。如何なる物理手段によっても、空間を移動する光の位置も速度を知ることはできない。

その光子を観測者が直接受光しないことには、その存在すら知ることはできない。光子は奇妙なことに、受光者によってのみ突然観測されるのであって、それ以外の傍観者には光子の飛翔の痕跡さえ見出すことはできない。
つまり赤い破線の光を観測できるのはロケット内の乗員だけであって、地上の第三者には原理的に観測不可能なのである。

マクスウェルの方程式も電磁波の速度は受信者に対する速度がcであることを記述しているのであって、受信者でない他者に対する電磁波の速度を導き出す方程式ではない。だが、マクスウェルの方程式を見て、この式が何処から観察されているかを見て取るのは容易では無い。余りに当然な視点は逆に視点を喪失させてしまっている。アインシュタインをしてそうであったように。


もう一度【図1】を見てみよう。ロケットの床から発して天井に反射し、再び床に到達する光は、一体誰が観測した物理現象であったのか? 少なくとも、ロケット外の観測者が観測できる光は、ロケットの光源から地上に届く光か、ロケットの鏡、またはロケット本体に反射して地上に届く光、何れにしても観測者に直接向かう光に限定されるのであって、如何なる手段を使っても赤い破線に示す光(ロケット内の光源→鏡→ロケット内のセンサー)の存在も、その速度も、ロケット外部の観測者は知るすべがない。

ただし、観測者に対して同じ距離を保って慣性飛行するロケット内部の光の速度は、ロケット内の光パルスが往復する毎に外壁のフラッシュを点滅させることで、これを間接的に外部観測者に知らせることはできる。直接的な方法によってはロケット内の光の動きを知ることは絶対できないが、こうした間接的な手法でなら知ることができるはずである。(下図参照)



特殊相対性理論によれば、ロケット外壁のフラッシュの点滅間隔はロケットの速度と共に延びるはずであるが、もし実際の観測の結果、その点滅間隔が伸びないのであれば、それはロケット内の光の速度c'が地上の観測者に対して相対的に増大したと断定せざるを得ない。我々は、これを思考実験で済ますのではなく、実際にこの測定をしてみるべきである。

超高速ロケットに替わる方法としては、地球から近距離にあって銀河膨張速度の影響を比較的受けにくい超新星の外縁のスペクトルを精密に測定することによって答えを出せる可能性があるかも知れない。特殊相対性理論によれば、超新星の爆発速度に見合ったスペクトルの赤方シフトが観測されなければならない筈である。




光速度不変原理の修正

だが、速度による時間の遅れが認められない場合、我々はアインシュタインが定めた光速度不変の原理に修正を加えなければならないだろう。

アインシュタインにとって「光速度不変の原理」を敢えて「相対性原理」の外に置かなければならなかった理由は明らかで、その内容が相対性原理と相容れない法則であることを感じていたからに他ならない。
相対性原理の根幹となる法則が「絶対基準となる速度は存在しない」であったにもかかわらず、光速度不変の原理は(ただし光子の運動を除く)を必用とする法則であったため、この反りの合わないふたつの原理を数学上で両立させるために、時空変数(t,x)のメモリに手を付けざるを得なくなってしまったのだろう。

では、光速度不変の原理を相対性原理と対立しない地位に据えるにはどうしたら良いだろうか? 現に観測される事実だけに基づき、拡大解釈を捨てるにはどうしたら良いのだろうか?

考えられる唯一の方法は、アインシュタインが暗に定めてしまった「ロケット内からロケット内への光の速度も同じく速度cである」とした拡大解釈を取り下げるべきである。少なくともそれは観測されたことのない現象であると同時に、自然界として、あるいは相対性原理に対して対称性に欠ける法則と言わざるを得ない。

その、新しい光速度不変の原理は次のようなものとなるだろう

異なった速度下にある慣性系の観測者が観測できる光子はそれぞれの観測者に対して値cを持つ。

この要請は特殊相対性理論の「慣性系における光の速度は観測者と光源の速度に関係なく一定である」とした定義と一見類似しているが実は根本的に異なる。それぞれの観測者から見た場合の光の速度は何れの定義の場合も等しいが、特殊相対性理論における光の速さは全ての観測者に対して一つしか存在しないのに対して、新定義の場合、各観測者ごとに別の光の速度が対応するということになる。

これを図1の状況に適用するならば、赤い破線の光は「ロケットに搭載されたセンサーに対して速度cで運動する」となる。

だが、この変更は残念ながら、特殊相対性理論の魅力的な部分を削ぐことになってしまうだろう。つまり、

 運動する系の時間は遅れる。
 運動する物体は進行方向への長さが縮小する。
 運動する物体は進行方向への質量が増加する。
 運動速度の上限は光の速度である。

これらの効果は残念ながら発生しないことになるだろう。結局残るのは、観測者に対して光の速度はcであるという項だけとなり、光子は運動する物体に対して、ローレンツ変換を必用とする特殊な時空を不要にしてしまうだろう。
光子の運動は野球ボールと変わらぬ法則、相対性原理に基づく力学に従うことになる。ただし、この光のボールはキャッチャーにしか見えない。かつその速度はこのキャッチャーに対して値cを持つものである。

光子には光子毎のキャッチャーが伴うという概念は、アインシュタインが残していった大きな不条理を解消すると同時に空間の構造を露わにするはずである。



観測可能な光子

宇宙全体の光子の内で、観測者が観測でき得る光子の割合はどれ程なのだろうか。宇宙に電子が2個しかない場合、一方の電子を光源とする光子は他方の電子に必然的に吸収されるため、確率は1である。光子数が3個の場合、確率は2/3 というように考えた場合、全宇宙にN個の光子が存在する場合、観測者が観測でき得る確率は

(式2)

でしかないことになる。従って、宇宙が大きければ大きい程、観測できる光子の割合は反比例して小さなものになってしまうということになる。

大口径反射望遠鏡を長時間露光することで観測結果を重ね合わせることで観測者は観測者に向かう光子を検出する感度を高めることはできるが、観測者に向かうことのない光子を観測することは文字通り原理的に不可能である。

我々のこの宇宙は、遮る物質さえなければ透明で、何処までも見晴らせると考えられてきたが、宇宙が広い程、宇宙は暗くなるということになる。



電子と光子の関係

ここで、電子と光子の関係を改めて考えてみよう。

たとえば、宇宙の遥か彼方からやってきた一つの光子が集光され、光電子倍増管の電子を叩き出す。この電子流を増幅することで恒星や銀河の情報が得られる。

この過程において、飛来した光子と光電子倍増管内の電子との出会いは全くの偶然であり、両者が出会う特別な必然性は無いように思われてきた。

だがしかし、この余りにも当然とされてきた現象の解釈には、どうしても納得できない不自然さが残る。何故なら、遥か彼方から、ずっと過去の時間からやってきた光子の速度が、どれも完全に等しいということは、その原因もしくは理由が、光子を観測するに用いた電子にあるのではないだろうか、という強い疑念である。

つまり、観測者が用いる電子の速度と、観測される側の光子の速度の差が常に一定であるということは、観測された光子と、これを観測した電子とが無関係あるいは偶然ではなく、結合された物理現象に由来しているのでは、という強い疑いが出てくる。

観測された光子は、観測した側の電子と切り離せない関係、もしかしたら、観測した電子自体に由来する光子ではないのか?
 宇宙の遥か彼方から飛来した光子が、この光子を観測した機器の電子に関連する光子ではないか? 

エーテルの風速を測定することができない理由は、観測者が観測者自身のエーテルの中に住んでいて、観測者が動くとエーテルもついてきてしまうからではないのか? 光は観測者自身のエーテルの中を伝播してくるため、どんな光の速度も同じになってしまうことになる。エーテルは観測者を構成する個々の電子の場なのではないだろうか? 電子の場は途切れることなく宇宙に広がっている。エーテルは全宇宙に広がった流体のようなものではなく、その素粒子毎にに備わる空間構造であるならば、光速度の矛盾は解消することになる。 



光子場仮説

- 光子場を周囲にまとう電子 -

電子は、励起されない状態においても電子は完全に静止していることはできず、ごく短い時間においては絶え間無く揺らいでいると考えられている。揺らぐ電子は光子を呼吸するかのように、吐き出しては吸収しているため仮想的な光子「仮想光子」と呼ばれる。

さて従来、素粒子の正体を探る方法としては、如何に高エネルギーで衝突実験をするかが唯一の手段と考えてきたが、その主要な理由は不確定性原理により、より正確な位置(大きさ)を調べるには、より大きな運動量が必要と考えられてきたからである。

結果、巨大加速器の出力を上げる程に、電子はその寸法を縮小化してきた。加速器の出力が勝り、電子が破壊されれば、その時点で電子の大きさは突き止められたことになるが、今のところその兆候すら無いため現在では電子には大きさが無いとさえ考えられている。

だが、この追及劇の、もう一方の真実は、電子を叩かない状態、つまり、時間と空間の両スケールにおいて、完全に拘束されない電子、特に、分子にも原子にも属さない電子の存在は、この時空の中にきわめて広がっている可能性を否定することはできない。

そのような広がった電子の仮想光子は、量子というよりむしろ場のような存在として考えることもできるはずである。ここではそれを「光子場」と呼ぶことにする。

ここで重要なことは、光子場は固有の電子に属しているということである。古典的な電磁理論では、ある一点の電磁場は、周囲全ての個々の電荷の働きから生じているとされているが、本仮説においては、ひとつの電子はその電子固有の光子場を電子の周囲に纏っていると考える。その光子場は他の電子の光子場とは全く別な存在でなければならない。古典的な「エーテル」は、この宇宙空間に共通して広がる存在を指していたのに対して、ここでの光子場は、固有の電子にのみ属する固有のエーテル場である。

また、光子場の範囲の移動速度は光の速度に拘束されない。固有の光子場の状態は光子場全体で一つの状態であり、一つの光子場ともう一つの光子場が干渉する状態も同様であろう。何れの状態であっても、光学的な干渉縞の移動速度は光速度に拠らないのと同様に光子場の変化速度に上限はないであろう。

二つの電子が量子もつれの状態になるとしたら、それは互いの光子場がもつれあった状態になるからなのであろう。

電子は、大きさのない点としての存在ではなく、自分自身の光子場をまとった素粒子として理解されるべきである。電子は自らの光子場を介して他の素粒子からエネルギーを直接受け取る。エネルギーはこれまで、素粒子から放たれ、空間に放出された後、他の素粒子に出会うことでその素粒子に吸収されると考えられてきたが、実は素粒子と素粒子の直接的な接触による伝達であったということになる。従って、固有の電子の光子場の最大範囲は宇宙全体に及ぶこともある。宇宙の最大範囲で、素粒子の光子場がもう一方の素粒子に接触してエネルギーを受け渡す場合もあることになる。


電子Aから離れた位置にある素粒子Bのエネルギーは、電子Aの光子場Aの仮想光子を励起し、実の光子へ転換する。この光子は電子Aへと向かい、電子Aにエネルギーを渡すことになる。

これまで、励起した電子が空間に光子を放射し、この光子のエネルギーが他の素粒子に吸収されると考えられてきたが、光子場仮説におけるプロセスはこの逆である。つまり、受光側の素粒子の光子場が、光源側の励起した素粒子に接触してエネルギーを受容する結果、受光素粒子の光子場に光子が発生し、これが受光素粒子まで到達することになる。


2図に、電子Bから与えられたエネルギーにより、電子Aの光子場内で発生した光子が、電子Aの中心部まで伝播する過程の概念図を示す。




【図2】




この仮説に登場する電子Aと光子Aは、たまたま偶然に出会う関係性の素粒子では無い。我々はこれまで、光子を独立した基本粒子と考えてきたが、この概念に縛られる限り光速度の不条理を理解することはできない。光子は独立した存在ではなく、固有の電子の属性の一部なのであろう。

言わば、一つの電子は自身の光子場の翼を広げた一つの独立した宇宙を構成していると考えることができる。この翼を介して、素粒子と素粒子は接しているとさえ言える。

また「空間」という概念に検討を加えるならば、空間は何も無い空白ではなく、それぞれの素粒子の基本的相互作用が伝達されうる「場」ということができる。

電磁相互作用が働く光子場は、《引力、疎力、スピン力、横波力》 の量子的素力を基本素粒子間に媒介する。

我々はこれまで、あらゆる物理現象を、(いつ t)、(どこで x,y,z)、(どんな状態 Φ) であるかを記述することを我々の目的として来たのであるが、これは時間(t)も空間(x,y,z)も、なめらかで連続していることが前提であったが、そのような連続した、たった一つの宇宙という時空は近似でしかなかったとなると、物理学の根底を大きく変更し、これに適合する概念と数学を用意しなければならないだろう。



光速度不変のメカニズム
つまり、我々は空間をフリーに運動する光子を観測しているのではなく、我々の観測機器の光子場を伝播してきた自身の光子を観測している。よって、これら電子に付随する光子は、何れも、この電子(観測者)に対して常に等しい速度 c になるざるを得ない。

例えるならば、観測者は外界からの振動を検出するためのピアノ線を持って歩いている状態とも言える【図3】。外界の衝撃がピアノ線を伝わってくる速度は、ピアノ線の剛性と単位長あたりの質量から決まるため、常に一定速度となる。外界の光源と観測者間の距離が接近しつつある時も離れつつある時も、常に観測者自身の光子場の構造線を伝わって入ってくる光の振動速度の値は一定となってしまう。



【図3】





光子場仮説の慣性系においては時間も距離も伸縮することはない。光源と観測者間の距離による時差の存在、および相対運動による時差の変化は発生するが、それは、走行する救急車の音程の変化は、救急車内の時間の進行が変化するからでは無いの同様、見かけの現象でしかない。

ただし、特殊相対性理論には想定されていなかった別の現象が起こる可能性がある。例えば、物体の速度は、空間のエネルギー伝達速度の限界から、音速における超音速衝撃波に似た壁が発生する可能性がある。また、空間の変位速度が、局所的には光速度であっても、空間の伸縮速度の累積値が光速度を超えることは十分あり得るため、遠方の物質は、光の速度を越して運動するであろう。遠方の銀河の膨張速度が光速度を超えているのもこの一例であろう。



光子の放出
さて、この仮説が導くもうひとつの大きな特徴は、光子は自発的に放出されることはないという点であろう。
エネルギーは光子場の構造線を通じてエネルギー源から観測者に伝達される。それも、観測者側の光子場の構造線がエネルギー源の素粒子を走査したタイミングに限られることになる。光子の放出だけでなく、量子現象が確率でしか記述できないのはこのメカニズムによるのであろう。
ただし、光子場の構造線にポイントされたからといって、全てのエネルギーが流出してしまうことは当然ないであろうが、そのメカニズムは別途追及されなければならない



光行差

しかし、光速度不変の条件は以上のメカニズムだけでは成立しない。空間構造線仮説はもう一つの重要な現象である光行差を説明できなければならない。

下図は、相対的な速度が無い状態の光子場Aと、天頂に相当する位置にある電子Bとが干渉する概念図である。ただし、光子場Aは電子Bに接する付近まで、電子Bの光子場は自身の近傍のみを描いている。

光子場Aに発生した光子は観測主体である電子Aに向かう。これは、先に述べた光速度不変の第一モデルともいうべき状況である。


【図5】



つぎに、光速度不変の第二モデルを考えてみる。下図は天頂位置に相当する電子Bに対して、光子場Aは図右方向に運動した状態で発生した光子である。

この時、真上から速度cで落下してくる雨粒が、速度vで進行する自転車に乗った人の頭に当たる場合と同様に、光子の速度cと観測者側の電子Aの速度vの比で光行差角θが発生することになる。

ただし、顔に当たる雨粒の速度は上昇するが、光子は円で描いた光子場と電子Bの接点で生じて発生し、観測者の光子場内を伝搬してくるため、速度は観測者である電子Aに対しcとなる。


【図6】


角度θは、光の速度cと、電子Bと光子場Aの相対速度vで決定されるものとなる。vがcに対して小さい場合、その角度は

  θ≒v/c


相対的運動方向と電子Bの方向が直角でなく、角度θ'ずれている場合は

 θ≒v/c cosθ'

となる。



光速を超える速度

観測者に到達する光の速度がcに限定されるだけであり、運動体の速度はcに影響されない。

図7は、十分遠方にある物体が観測者に対しほぼ直角方向に運動している概念図である。運動体の速度がcを超えても、運動体からの光信号は速度cで届く。


【図7】


無風の大気中を音速を超えて飛行するジェット機を想定してみよう。ジェット機の高度が十分高く、天頂付近を飛行している場合は、音は遅れて地表に到達するが、その時間差さえ考慮すれば、天頂付近から聞こえる時の音源の移動速度はジェット機の速度にほぼ等しくなる。つまり観測される音源の移動速度は音速を超える。

無論これは天頂付近に限られるものではなく、音は常に発生位置から観測者に対し音速で近づいてくる。従って、ジェット機が音速を超える速度で観測者から遠ざかる場合も、音はジェット機の位置から同じ速度(音速)で観測者に接近することになる。周波数はドップラー効果により変化してしまうが音波の成分自体は音速で伝播する。(風速は0とし、気圧の影響は受けないとする)

光の場合も同様のメカニズムにより、光速を超える運動体を観測することができるであろう。例えば、銀河で起こっている事象においては、光速を超えるジェット流が観測されるはずである。ビッグバンによる宇宙の膨張運動も遠方の銀河の対地球速度は光速を遥かに超えていると考えられる。光子(空間構造線の振動)は光の速度を越えることはできないが、物質(素粒子)の速度に限界は無いのである。

なお、特殊相対性理論の数少ない実証例とされるミュー粒子の寿命の伸びとされる観測は、粒子の速度が光速に近づいて、あるいは超えて飛翔することで、その飛翔距離は、(光速度×平均寿命)の値を超えたものであり、ミュー粒子の寿命が延びたことが原因では無いことが証明されるであろう。


場と相互作用

素粒子に働く基本相互作用には

 強い相互作用 → ハドロン粒子間に作用
 弱い相互作用 → 
ウィークボゾン粒子間に作用
 電磁相互作用 → 電荷粒子間に作用
 重力相互作用 → 質量粒子間に作用

の四つの力が知られている。強い相互作用と弱い相互作用は素粒子の近傍にのみ作用するが、電磁相互作用と重力相互作用の到達距離には限界が無いと見られている。

電磁力と重力の大きさは、対象とする電荷量および質量が大きい場合は近似的に距離の二乗に反比例するが、素粒子対素粒子間に働く相互作用力では距離に無関係な一定値となる。

光子場に現れる直線状の場を光子線と呼ぶことにする。光子線は荷電素粒子から直線的に空間に延び、
確率的に他の荷電素粒子を走査する。走査により、双方の素粒子間には以下の相互作用力が発生する。

 ●引力(相手が反電荷の時)
  または
 ●斥力(相手が同電荷の時)

相手素粒子の電荷が励起している場合は、

 ●横波動力(右スピンまたは左スピン力を伴う)

を光子線の振動(光子)として受けとる。光子は光子線に沿い速度cで荷電素粒子まで伝達される。

引力、疎力、スピン力は一定の単位量であり、横波力は周波数に比例する一定の単位量でる。




同様に、
重力場に現れる直線状の場を仮に重力子線と呼ぶことにする。重力子線は質量を持つ素粒子から直線的に空間に延び

 ●引力
 ●横波動力

の2種の力を質量素粒子間に媒介する。




空間構造線の力学

素粒子の相互作用力が距離に無関のない一定値となる理由は、空間構造線に生じる張力が空間構造線の長さに影響を受けないからであるが、これは空間構造線が位置に拠らず均等な弾性を持っているからであろう。

特殊相対性理論においてはローレンツ変換という単純な数式の操作でのみ語られていた時空であったが、我々はこの先、空間構造線の力学を追及しなければならないだろう。基本素粒子の持つ慣性と空間構造線の持つ弾性だけで或る程度のモデル化が可能なのかを追及しなければならない。






空間構造線と素粒子の加速

光子線と重力子線は共に空間の構造線であり、等しい横波速度および直線性を持つ。

図8は質量を加速したときの空間構造線を示す。



【図8】

質量mを、短い時間⊿t の間、図上方向に加速度αで加速してみる

時間⊿t の間に、質量が移動する距離 は  α⊿t2/2 この間、空間構造線の屈曲点は速度 c で図左方向へ移動する。その距離は c⊿t

この時、空間構造線の張力 T により、質量には傾斜 
 
 (α⊿t2/2)/c⊿t

に比例する下方への力 F が発生する。

 F = (T α⊿t2/2)/c⊿t 
  = 2Tc⊿t/α⊿t2
  = T α⊿t/2c

α = ⊿v/⊿t  を使うと

 F = (T/2c)⊿v
 F = TΔv/2c

つまり、速度の増分に比例し、光速度cに逆比例する慣性力が発生することがわかる。

このように、質量近傍の空間構造線の屈曲が慣性力を生む原因であり、その現れが質量であると考えられる。



素粒子の自発的振動

我々は、アインシュタインが投じた「神のサイコロ」を無視することはできない。ここで、空間構造線がどのような働きをするかを考えてみる。

図9は素粒子と、その素粒子から延びる空間構造線の略図である。先に記述したように空間構造線が持つ張力は必然的に素粒子を引き戻す方向に加速することになるだろう。その素粒子の加速は、近傍に新たな仮想粒子と、これに繋がる別方向への空間構造線を生むことになり、この連鎖は素粒子に定常的な振動を引き起こすことになる。

これにより、空間構造線の先端は確率的に他の素粒子を走査することになるだろう。


【図9】


この振動は、素粒子の内的な振動のため外部からは検出できないという意味では仮想の振動ではあるが、素粒子崩壊や量子の確率のメカニズムに深く関与している可能性がある。

少なくとも、素粒子が単に点としての存在でしかないのであれば、素粒子が自身との干渉を行うという現象は説明できないが、この素粒子が持つ空間構造線のモデルであれば可能であり、かつ、結果が確率的にしか求めることができないという量子力学の根本を説明できる可能性が出てくるのである。





閉じた空間構造線
これまで検討してきた空間構造線は基本素粒子から延びた直線状の構造であるが、これ以外の空間構造線は存在するだろうか?

ハドロンの空間構造線とウィークボゾンの空間構造線は閉じている可能性が高い。それは、重力と電磁力の到達距離が全宇宙の範囲と考えられているのに対してハドロンは10-15m、ウィークボゾは10-17m程度しか達しないことからも推測できる。

重力と電磁力の作用力は距離に関係しないが、この二つの基本相互作用と、有限距離までしか到達しない弱い力と強い力の空間構造線の作用は、単に量的な違いではなく根本的な違い、例えば空間幾何学的な違いがあるのであろう。
具体的には、空間構造線が直線ではなく、閉じたループとなっている可能性が考えられる。素粒子がループ状の空間構造線の中に入っているのではないだろうか。

リニアな空間構造線の断面である電子などの素粒子は、その断面に面積を見出すことができない。
ループ状の空間構造線も、構造線を切断して、切断面の面積を見出すことはできないが、ループの直径は存在するであろう。

ループ状の空間構造線に張力があるとしたら、ループの直径は如何に定まるのだろうか。 収縮するにつれ、素粒子の空間構造線の長さ当たりの運動量が増すため、それは空間構造線の波動速度(c)に関係するループ寸法で均衡する値となるだろう。

   
    


質量と重力と光速度の関係

先に

 F = T⊿v/2c

あることがわかったが、これ以上深く進もうとすると我々はニュートンが残していった問題に直面することになる。









                                                 
                                                 
                                                

by k.i
Tokyo
2018-2022






inserted by FC2 system